プロフィール

プロフィール(子どもが東大生になるまで)

このブログにご訪問ありがとうございます💗
はじめまして、あやといいます。

実は、息子が東大に合格しました。

一方で、夫は工業高校出身で、私は商業高校出身です。

合格の事実を親や兄弟、親戚に伝えると、皆驚いていました。
もしかしたら、このブログを読んでいる皆さんの中にも、息子がなぜ合格できたのか疑問を持たれるかもしれません。

子供が小さい頃、必死になって頑張っていました。けれど、成功の要因が何だったのかは分かりませんでした。

でも今考えると、色々なことに努力しました。

子供が大学生になり、改めて感じるのは、自分が未経験のことに挑戦することは、苦労の連続で悩み苦しみました。

もしかしたら、同じように悩み、考え、頑張っている人々に、少しでも有益な情報を提供できるのではないかと思うようになり、私が体験したことをお話しします。

人によっては当たり前のことかもしれませんが、温かく見守っていただければ嬉しいです。

あや
あや

ブログでは、子育て と 生活 に関するおすすめしたいことを発信しています。

どうぞよろしくお願いいたします。


以下に私たち夫婦のことをまとめましたので、ぜひお読み下さい。

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夫婦のプロフィール

自己紹介(プロフィールページ)

夫 ・・・ たかし 【会社員】

妻 ・・・ あ や 【専業主婦】

現在アラフィフです。

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お互いの家庭環境

たかし
たかし

両親揃って円満な家庭で育ちました。

実家は自営業で、商売が順調でしたので、子供の頃から経済的な苦労をすることはありませんでした。

両親には心から感謝しています。

あや
あや

幼稚園生の頃、突然母親が男性と駆け落ちし、私たち姉妹は父子家庭となりました。

父親は仕方なく私たちを育てている感じがあり、最低限のことしかしてくれませんでした。

普段は疲れていると力で問題を解決しようとし、家庭内では星一徹の様なちゃぶ台返しも日常茶飯事で、休日には子供たちを置いて一人で外出するのが当たり前でした。

家庭内では姉が母親代わりに料理をしてくれていましたが、小さい頃は寂しくて泣いていました。

中学生になった頃、状況が変わりました。

父親が突然、「この人が新しいお母さんだよ」と一人の女性を連れてきて再婚しました。

再婚後の約1年間は、温かい家庭のぬくもりを感じることができました。手料理を食べ、自慢できるお弁当を学校に持っていくことができて嬉しかったです。
その時に家庭の雰囲気や家族の絆というものを初めて知りました。

しかし、新しいお母さんはお酒を飲むと性格が変わりました。気に入らないことがあると何時間も子供たちを怒り続け、ついには暴力を振るわれ、精神的に参ってました。

結局父親と離婚し、再び姉が母親代わりとなる生活に戻り、平和を感じる日々を過ごしました。

しかし高校生になった頃、父親が別の女性と再婚したいと言い出し、結局反対することもできず、新しい母親と彼女が連れてきた連れ子がやってきました。

小さい頃から寂しくて泣いて、「お母さんがいたらどんなに幸せなのか」と思っていました。


しかし、思春期の短い期間に2人の新しい母親がやってきて感じたのは、他人との共同生活が言葉で表せないほど辛く、家庭内での居場所を失ったと感じました。

そして父親が再々婚してからは、ますます家を出て行きたいという気持ちが強くなりました。

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お互いの家庭の教育方針

たかし父母<br>
たかし父母

両親の職業・・・自営業

両親の学歴・・・中卒

実家のある場所には高校がなかったため、高校に進学するために家を出る必要がありました。

両親は若い頃、高校に進学の希望を抱いていましたが、親に反対されて実現できませんでした。

その経験から両親は、彼が希望した工業高校に進学させてくれました。

あや父
あや父

父親の職業・・・職人

父親の学歴・・・中卒

父親の実家は伝統的な技術を扱う職人の家です。

家庭内では父親が威張り散らしていることが多く、何か問題があると「誰のおかげで飯が食えるのか?」と言われながら育ちました。

勉強に関しては、高卒で充分だと考える父親の希望に従い、私は商業高校に進学しました。

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就職

たかし
たかし

某メーカーに就職。
就職と共に上京しました。

あや
あや

某企業に就職。
自宅から通っていました。

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若気の至り?!

結婚(プロフィールページ)
あや・夫たかし
あや・夫たかし

20代前半で結婚しました。
詳細は割愛させて頂きます💦

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結婚生活

① 衝撃の事実

借金で困る(プロフィール)

今では考えられません。
当時の私は、結婚する際に相手の年収を確認していませんでした。

給料日に彼にお金を頼んでも、お金がないと言われてしまいました。
結婚費用は彼の両親が、支払ってくれたため、結婚費用による問題ではありません。

実際のところ、浪費と事故により借金が重なり、給料が入っても返済に充てられてしまう状態に陥いっていました。

通常、こんな状況なら「こんな男だったのか!」と怒って家を出るのが一般的です。

でも、私には帰る家がありません。

そのため、どうにかして状況を打破しようと模索しました。
まず、借金の全体像を把握するために、借金の総額を彼に明記させました。

その結果、トータルで当時の年収を上回る600万円もの借金がありました。

彼は副業のアルバイトを始め、私は再就職し、日々の返済に励みました。

2人で協力し合って頑張った結果、1年半で借金を完済することができました。

② 衝動買い

家購入(プロフィール)

最初は借金があったため、節約しながらの貧しい生活を送りました。

そんな生活でも、私にとっては実家の状況と比べれば自分の居場所ができ、精神的に安心して暮らすことができることに満足していました。

幼少期から辛い経験が多かったため、普通の人よりもガマン強い性格です。

そのため、借金が完済しても、家計管理を担当している私は財布の紐を緩めず、数年で1,000万円の貯蓄をすることができました。

そして、その貯金を頭金にしてマイホームを購入しました。

家のローンは35年の返済期間で、金利は2.3%でした。購入後に届いた返済予定表を見ると、返済額の2/3近くが利息でした。

それに気づいて、「早く返さないとまずい!」という気持ちになり、私は給料を増やすために転職し、結果としてローンを8年で完済することができました。

そして、このローンが完済した後に、息子のなつきが生まれました。

あや
あや

今考えれば、1,000万円を投資に回せばよかったよ~💧

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終わりに

お礼のことば(プロフィール)

大変長い文章を読んでいただき、ありがとうございます。

詳細に触れたくない部分もありました。

しかし、書かないと私の子育ての経験が伝わらないと感じ、書かせていただきました。

本音は幸せな温かい家庭で生まれたかった

もしこのブログを読んでいる人の中で、辛い気持ちを抱えている方がいれば、その苦境も永遠に続かないと信じて、頑張って欲しいです。

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